2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« お試し【バニラ&ポテト】新発見! | トップページ | 職場が… »

2009年9月 6日 (日)

理由(気分低下注意)

なぜ生きているのか、なぜ生きねばならないのか。

かれこれ10年近く、私の命題になっている。
今の私は、こう答えるだろう。
「惰性だ」と。
「生まれてしまったのだから、仕方ない」と。

消極的でやる気のなさが伝わると思うが(笑)、人生を楽に生きるために出した結論が、この2つだった。
私は理科系には全く詳しくないけれど、「惰性」とは、対象となる物体自身がコントロールできるものではないと思う。もちろん、途中で物体の形が変わったりすれば変化するとは思うが。ここで私が言いたいのは、私の生きる理由は、「望まずとも加わってしまう力(勝手にお腹が空く、勝手に心臓が動いて勝手に呼吸をしている)」によって、私の意志とは関係なしに「生きる」という行為は行われていて、それを止めたり、形を変えたりするのが面倒だから生きているのだ、ということだ。

「生まれてしまったのだから、仕方ない」というのは、要するに「諦め」だ。だって死ぬのは面倒だし(前述の通り)、第一、周りにあれこれ言われると、死ぬ手続きを考えるだけで一苦労だ。かといって、前向きに生きていこうなんて思えない。だから「仕方ない」と諦めたんだ。

まとまらないけど、強引にまとめるとするならば、自分の人生を「自分ではどうにもならない何か」のせいにして、ダラダラ生きているという感じだろうか。

ここから先は余談。
宗教を信じている人が羨ましい。クリスチャンならば「神に生かされている」と感じることができ、辛い時も「神が自分に課した試練」だと思い、「神は私に背負えない重荷を背負わせたりしない」と信じて乗り越えることができよう。仏教徒ならば、「輪廻からの脱却」を目指し、まっすぐに生きて、死後に浄土を目指そうと考えることができる。自殺をすると輪廻から出ることができない(転生してしまう)ので、人々は転生しないためにも、つらい人生を生き抜いて、死後に真の癒しを求めるわけだ。考えてみれば、宗教は大抵、大飢饉やら戦乱やらの苦しみの中で生まれているのだから、自殺予防的な思想が入っているのは当たり前だろう。
何かを信じていれば、悩み種の少なくとも半分を、信じる何かに任せることができるのだから、使い古された言い回しだが、「信じれば救われる」とは、良くも言ったものだと思う。

« お試し【バニラ&ポテト】新発見! | トップページ | 職場が… »

つぶやき」カテゴリの記事