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2010年1月 3日 (日)

『善き人のためのソナタ』 観賞録

2007年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した、ドイツの作品です。
主演は亡きウルリッヒ・ミューエ。以前にちょっと書いた『わが教え子、ヒトラー』でも主演していた彼です。
別に彼のファンというわけではありませんが、強いて言えば……ただのドイツ好きですね。

正月にかこつけて、DVDを借りて来ました。
以下、ネタばれを含む私の主観を書き連ねますので、自己責任でお読み下さい。

 この作品では、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツの監視体制が赤裸々に描かれていました。当時の東ドイツは社会主義国家です。主人公、ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は国家保安省(通称シュタージ)の職員で、とある劇作家、ゲオルグ・ドライマンを危険思想等の疑いで、盗聴、監視します。ところがこの監視指令の目的の一つには、作家ドライマンの恋人、クリスタ=マリア・ジーラントを自分のものにしたいという、ヘンプフ大臣(政府の偉い人)の思惑が絡んでいます。さらに、その大臣に恩を売りたいヴィースラーの上官、出世を餌に……いや、脅しの種に作戦の”成功”を強要される主人公ヴィースラー……。
ヴィースラー大尉は「国家の裏切り者の正体を暴く」という正義を信じ、作戦を実行します。

盗聴器を仕掛ける際の鮮やかさ。劇作家ドライマンの外出の隙に、数人の男が鍵をこじ開け(しかもこじ開けられたことが分からないくらいに巧妙に)、電話線、電気のスイッチの裏に盗聴器を仕掛け、壁に線を這わせ、さらにその線にさえ気づかれぬよう、壁紙をきれいに元通りにしていきます。見ていると鮮やかで気持ち良いくらいの光景ですが、当時の監視体制の恐ろしさを感じます。東ドイツの国家保安省(シュタージ)の監視体制は、ナチスのゲシュタポやアメリカのCIAを凌ぐものと言われたそうです。

さて、劇作家ドライマンの盗聴生活が始まります。ヴィースラー大尉は淡々とその任務をこなしていきますが、次第に、ドライマンやその恋人クリスタ=マリアを含む数名の仲間たちの自由な思想、現体制への考え方などに引き込まれていきます。そんなある日、盗聴器の向こうから、美しいピアノ曲が流れるのを耳にします。ドライマンの友人であり、反国家的な演出家として演劇界から遠ざけられていた男。その男がドライマンに贈った楽譜が、「善き人のためのソナタ」というピアノ譜でした。ドライマンが自らその曲を演奏し、ヴィースラー大尉は盗聴マイク越しにその曲に耳を傾けます。「この曲を本気で聴いた者は、悪人にはなれない」というソナタに。

ドライマンの友人であり、彼にソナタを贈った演出家の自殺。この事件を機に、ドライマンは東ドイツの自殺の現状というテーマで、東ドイツの悲惨さを西ドイツの雑誌上で公開しようと動き始めます。無論、ヴィースラー大尉はその動きにいち早く気がつきます。しかし彼は悩んだ末、国境警備兵への連絡をせず、そして報告書にはこう記述します。「報告すべきことはなし」と。さらに時間交代制で盗聴を続けてきた相方を作戦から外させ、単独での監視を開始します。紛れもなく、ドライマンの計画を成功させるために。
しかし主人公ヴィースラー大尉の中にも苦悩は続きます。上官が彼に疑問を抱き始めます。しらを切りとおすヴィースラー。

そんな彼の苦悩を映し出すようなやりとりが、同じアパートに住む子どもとの間にありました。彼と同じエレベーターに、ボールを抱えて駆け込んできた少年との会話です。

子ども「おじさんはシュタージなの?」

ヴィースラー「シュタージを知っているのか?」

子ども「うん、知ってるよ。悪い人なんだって。いろんな人を捕まえたりするって、父さんが言ってたよ」

ヴィースラー「名前は何と言うんだ?」

子ども「……ぼくの名前?」

ヴィースラー「……その……ボールの名前さ」

彼はここで、本来ならばその子どもの名前か、子どもの父親の名前を聞いておくべきだったはずです。父親を逮捕するために。子どももそれを察して身構えていました。けれど彼はしませんでした。「悪い人なんだって」。少年のその言葉が、「善き人のためのソナタ」を聴いてしまった彼の心に、痛みを感じさせたのでしょうか。

こうしたヴィースラーの変化に、知らぬ間に支えられながら、ドライマンの記事は西ドイツの雑誌で発表されます。ヴィースラーの上官、そして作戦を命じたヘンプフ大臣の激怒により、ドライマンの恋人クリスタ=マリアが拘束されます。そしてその尋問をヴィースラーが任されます。
「君はまだ、同士のはずだな」
上官の言葉に、またしても彼の心は揺れます。
ドライマンが記事を書いたタイプライターの隠し場所を話せ。彼は巧妙に尋問を進めます。クリスタ=マリアは口を割り、釈放されます。彼女の帰宅後、ドライマンの家は家宅捜索を受けます。クリスタ=マリアの供述した場所に、シュタージの一人が手をかけると……


数年後、東西ドイツは統一を果たします。シュタージによって監視されていた情報は国民に公開され、劇作家ドライマンは、自分についての監視情報を閲覧します。そして彼は、報告書の最後のページに、赤いインクの跡を見つけます。それは彼が使用していたタイプライターのインクでした。彼は知るのです。証拠品のタイプライターを持ち去ってくれた報告者、コードネームHGW XX/7 のことを。
シュタージの家宅捜索で、タイプライターは発見されませんでした。しかし、恋人を裏切り、隠し場所を密告したと思い込んでいたクリスタ=マリアは、その場から逃げ出し、表の通りで車にひかれて命を落としていたのです。

さらに2年後、「善き人のためのソナタ」という本が出版されます。一国民になった(と思われる)ヴィースラーは本屋でその本を手に取ります。本の扉には、「HGW XX/7へ 感謝をこめて」と書かれていました。彼は迷わずその本をレジに持っていきます。

「プレゼント用の包装をいたしますか?」
「いや、自分のためのものですから、結構です」

彼はささやかな幸福を手に入れることができたでしょうか。映画はここで終わりました。


長々と雑感も含めながら書いてきましたが、今回は悲劇でなくてよかった!というのが感想です。もちろん、完全なハッピーエンドではありませんでした。悲劇もありました。けれど、救いもありました。監視した側とされた側が、社会的背景の変化にも助けられ、分かりあったという、何とも言えない安堵感がありました。主人公はドライマンをかばったことで、閑職にまわされ、みじめな数年間を送っていました。そんな彼の一方的な思いが、何とも無機的な報告書によってドライマンに伝わり、さらにその気持ちが、温かな一冊の本として返されている。なんともホッとするラストです。
ヴィースラーのラストのセリフ、「自分のためのもの」というのは、かつての彼なら絶対に口にしなかったと思います。彼は主人公でしたが、その私生活にはほとんど触れられていませんでした。ケチャップをかけて口に放り込むだけの食事、欲望のはけ口のためだけに買った商売女。彼が本当に「自分のために」手に入れたものは、一切見えてきませんでした。密かに思いを寄せていたであろう、クリスタ=マリアに対しても、死に際に一瞬抱きとめ、離してしまいます。その彼が、自分のために本を買うというラスト。それも清々しい表情で、自分のためのものだと語る彼の中に、これまでのストーリーの怒りや悲しみの全てを帳消しにする安心感を、私は感じました。そういう経過で、「悲劇でなくてよかった!」という心情になりました。

それにしても、旧体制の資料とはいえ、監視報告書を隅から隅まで、本人が閲覧できるというのは、さすがだと感じました。欧米諸国ではそれが当たり前のようですので、むしろ日本人の情報に対する意識が低いのでしょう。社会主義から一転して、徹底した民主主義への変化というのも、この映画の面白いところでした。ささやかでしたけれど。

それと一点、笑ってしまったところがあります。基本的にかなりシリアスな話でしたが、ドライマンのアパートについて。アパートとはいえ、日本のマンションのように、まず共同の大きな玄関があり、さらに各部屋に入口があるというタイプですね。その共同の玄関の内側左手の壁に張り付いていると、玄関から入ってくる人が見事にスルーしてくれるというシーンが2度ありました。1度は、ドライマンが恋人の帰宅を見つけた時。2度目は主人公ヴィースラーが家宅捜索の直前に、恐らくタイプライターを持ち出すために忍び込んだ時。どちらも見事にスルー。横目で見えないのかよ!とツッコミたくなりました(笑)


さて……お正月休みもラストです。明日からの仕事の前に、映画の余韻をゆっくりと堪能するとしましょう。

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