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2013年4月21日 (日)

束の間の雨 (銀河英雄伝説 二次小説)

久しぶりの銀英伝二次小説です。
いつもどおり、pixiv同時掲載です。読みやすいほうでどうぞ。
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2259055
あとがきは、ブログのオリジナルです。

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束の間の雨

 上官の足取りがいつもより重い気がして、アントン・フェルナーは会議室から出てきた総参謀長の後ろ姿に、訝しげな視線を送った。神々の黄昏(ラグナロック)作戦を控えた多忙な時期である。常の彼であれば足早に廊下を抜けていくであろうに、いつになくゆったりと……いや、のろのろと足を動かしている。

それでも、やがて執務室へ着き、上官は室内へと姿を消した。痩身で顔色が悪いのはいつものことだが、それにしても青白すぎやしないか。そう思ってフェルナーは、そそくさと紅茶を入れに行った。このところ上官であるパウル・フォン・オーベルシュタインは、フェルナーよりも帰りが遅い。珍しいことではないが、フェルナー自身も決して早く退勤している訳ではないので、更に遅くまで残り、かつ早くに出勤している上官の体調は気がかりであった。無論、三十代の半ばで上級大将にまで上り詰めているのだから、それなりにタフではあろうが。
ともあれ少し休憩させようと、香りの良い葉を選んで入れると、上官が淡々と執務をこなしているであろう部屋へ、盆を片手に入室した。ローエングラム公の元帥府は、未だ貴族の懐古趣味的な造りの建物であり、皮肉なことに銀の盆と名の通ったブランドのティーカップが良く似合った。
「閣下、お茶をお入れしました。少し休まれてはいかがですか」
フェルナーがノックもせずに入室することについては、オーベルシュタインも慣れているらしく、気にせずに書類に向き合っていたが、紅茶の香りとフェルナーの声にスッと顔を上げた。やや呆れ顔である。
「卿自身が入れる必要はないと、何度言ったら分かるのだ。従卒を呼べばよかろう」
上官の咎めるような声に、フェルナーは人の悪い笑みを浮かべた。
「閣下のそのお顔を見るために、お入れしております」
オーベルシュタインはますます呆れたが、それさえも部下を喜ばせているのだと思い当たり、努めて表情を消した。
「そこへ置け」
視線だけで机の隅を示すと、再び書類へと目を落とした。フェルナーは執務机の書類ケースをぐいと端に寄せると、堂々とティーカップを上官の手元へ置いた。
「閣下、小官は別に悪ふざけでお茶をお持ちしたわけではありません」
目もくれないが話は聞いているようで、ああ、と一言返答があった。
「少し根を詰めすぎではありませんか。忙しい事は百も承知しておりますが」
オーベルシュタインはフッと溜め息をつくと、ティーカップを手に取って、中の紅茶を一口含んだ。
「卿に迷惑をかけているつもりはないが」
可愛げのないことを言っているが、紅茶に手を伸ばしているのだから、少しはフェルナーの言に耳を傾ける気になったのだろう。フェルナーは自席につくと、自分も紅茶の香りを楽しみながら、上官の表情を見やった。部下が強引にお茶やコーヒーを持参すると、いつもなら口で何を言おうと、恐らく本人も気づかぬうちに表情が和らぐのだが、今日は眉間に皺を刻んだままである。これは相当に疲れているなと、フェルナーが推測する一方で、オーベルシュタインも静かに息をついた。部下の気遣いは鬱陶しくもあり有り難くもあるが、正直今は、緊張の糸が切れたら全てが崩れそうな心持であるため、休まず仕事を続けていられる方が良かった。オーベルシュタインは軽く頭を振って立ち上がると、書棚に向かって歩き出した……はずだった。
唐突に視界がぐらりと揺れて、急速に暗闇へと引き込まれる。倒れるのだなと認識して、しかし受け身を取れるほどの余裕はなく、オーベルシュタインはじんわりとした不快感を覚えながら、なすすべもなく意識を手放した。


「……っか、閣下!」
遠くでフェルナーの動揺した声が聞こえる。この男でもこんな声を出すことがあるのかと、変なことに感心しながら、オーベルシュタインはゆっくりと覚醒した。目を開けようとすると強い眩暈を感じ、目を閉じたまま部下の呼び掛けに応えた。
「聞こえている」
淡白にそう言うつもりだったが、実際に音声化されたのは呻き声に近かった。
「閣下、分かりますか」
フェルナーの他に人の気配がないところをみると、意識を失ったのはほんの一瞬のことだったようだ。目を閉じたまま、ああ、と肯いた。今度はどうにか正しく音声化されたようだ。
「目が回るのだ」
オーベルシュタインの訴えに応じて、体を支えていたフェルナーの腕の力が、ぎゅっと強くなったのを感じる。
「熱がおありのようです。軍医を呼んでありますので、今日はおとなしく休んで下さいね」
ともかく意識が戻って良かったと、フェルナーは大きな溜め息をついた。
「ひょっとして、お帰りになっていなかったのではないですか」
上官の体の熱を受け取りながら、ふと思い当って尋ねる。返答はない。それもそのはず、眩暈に耐えかねたオーベルシュタインは、再び効率的な体力の温存手段を取ったようだ。つまり、眠っていたのである。
「ああ、まったく」
苦しげな表情から穏やかな寝顔に変わったオーベルシュタインを見ながら、フェルナーは再度溜め息をついた。倒れて眠りこけるまで、休息というものを取らない男が、現在の彼の上官なのだ。
まったく、手のかかる上官だ!


 その後、しばらくして目を覚ました上官を私邸まで送り届けて、その日はほとんど終わってしまったため、翌日、フェルナーは普段より早くから出勤して、職務をこなしていた。そんな参謀本部の扉を朝早くから叩いたのは、砂色の髪を持つ青年将校だった。
「これはお珍しい、ミュラー提督」
フェルナーが愛想のいい笑みを浮かべる。
「フェルナー准将、お久しぶりです」
ナイトハルト・ミュラーは柔和な笑みで返すと、フェルナーの執務机の前へ躊躇わずに歩み寄った。彼らは階級も立場も違うが、同年であることから比較的気軽な付き合いがあった。フェルナーは普段、オーベルシュタインのような癖のある上官の下にいるのを楽しんでいる傾向もあり、同じくアクの強い友人も多いが、ミュラーのような誠実で裏表のない存在もまた、得難いものである。
「それで、どうしたんですか、ミュラー提督」
フェルナーの問いに、ミュラーは少し困惑した様子で口を開いた。
「夕べの帰り道だったのですが、総参謀長閣下が夜間救急外来のある病院へ、血相を変えて入って行かれたのを偶然目撃しまして。貴官なら何か知っているだろうと思い当たったのです」
「なるほど」
フェルナーはしばし思考を巡らせた。軍医から当面の薬……解熱剤等は受け取っているはずで、わざわざ病院へ足を運ぶ理由を思い当たらない。何か急を要する事態でも生じたのだろうか。あの疲れ切った眉間の皺と、じんわりと熱を発した身体を思い出すと、あり得ないことでもないように思える。しかし、今朝、病欠を取る旨の報告を受けた際は、そのような様子もなかったが……。
「やはりご存知なのですね」
ミュラーは砂色の瞳を臆することなくフェルナーに向けている。こいつは人は良いのだが、変なところでゴシップ好きというか、好奇心旺盛すぎるところがあり、普段はそこが愉快でもあるのだが、こういう時は少々面倒くさいのだなと実感した。
「まあ、知っているような、知らないような」
フェルナーは再び上官の顔を思い浮かべた。あの人のことだ。執務室で倒れたなどという話を口外されたくはないだろう。本来なら上官であるローエングラム元帥には報告すべきことであったが、それさえもフェルナーの一存で制止している。決してプライドが高いというわけではないのだが、恐らくかなり強烈な照れ屋なのだ。口外すれば誰かが見舞いに訪れるだろう。あの人は誰かに労られるとか心配されるといった経験が少ないものだから、いい歳でもあるし、あの冷厳な表情の下で相当照れるのだと、フェルナーはほとんど確信していた。だったらその様子を拝んでみるのも良いのではないか……?
「私も全てを知っている訳ではないですが、閣下は今日、訳あって休暇を取られているんですよ。小官は仕事が片付いたら閣下の屋敷へ顔を出すつもりなのですが、ミュラー提督もご一緒にいかがですか」
鳥肉を手土産にと、フェルナーは笑って言った。
「いえ、総参謀長殿に会いたいわけでは……」
突然のフェルナーの申し出に、またもや困惑の表情を浮かべるミュラーであるが、はっきり断れないのが彼の性質とも言えよう。
「まあまあ、そうおっしゃらずに。意外に面白いことがあるかもしれませんよ」
完璧な笑顔で自分の肩を叩くフェルナーに、何ともいえない曖昧な表情で応じるミュラーだったが、おそらくこの流れに逆らえないのだろうということだけは、妙に確信していた。


 日の暮れかかった首都は、軍部内の騒然とした動きが嘘のように、静かに夜のとばりを迎える準備をしている。秋も深まり、日の落ちるのも早くなった。昼過ぎに降り出した雨が、生い茂った庭の木々を物憂げな表情にしていた。部屋着にガウンを羽織ったオーベルシュタインは、寝室のカーテンを引こうと窓辺に立って、しきりに雫を滴らせる樹木を見つめていた。

雨水は、木々や草花に生気を与える。
太陽は成長の糧を
闇夜はひとときの休息を、等しく分け与える。

私は何かを成せるのだろうか。
影として生きる、この私は。

澄みわたる青空に焦がれながらも、
私の運命(さだめ)は、闇に溶けることなのか。

オーベルシュタインは自身に呆れたように溜め息をついた。珍しく熱など出したものだから、感傷的になったのだな。らしくないと周囲の人間には見えるだろうが、こうして外を眺めて物思いに耽るのは、少年の頃からの習慣だった。母に似て病弱だった少年期。何日もベッドに囚われる少年は、庭の木々に羨望の眼差しを向けたものだ。
幼いの頃の思い出は、父と母、そして兄の面影を否応なく蘇らせる。右手をそっと瞼にやる。
この目がもし……
もし、父の望むように健常に生まれていたら。
そのような仮定は詮無いことだ。
だがもし……

控えめなノックの音で彼の思考は中断された。オーベルシュタインが入室の許可を出すと、僅かに軋む音を立てて扉が開いた。
「旦那様、フェルナー様とおっしゃる方がおみえでございます」
執事のラーベナルトが、彼に気遣わしげな視線を送りながらそう言った。オーベルシュタインは少し思案すると、
「そうか。居間に通してくれ」
と言って、さっと髪を整えた。
「いけません、旦那様。まだ熱も高こうございます」
「しかし、重病人というわけでもない。構わぬ」
ラーベナルトはなおも不服げに主人を見上げる。
「なぜお倒れになったのか、ご自覚はありますか。このような時に無理をなさるから、今回の事態を招いたのでございましょう」
老執事の視線は温かだが、どこか逆らいがたいものがあった。普通の使用人ならば、主人の意向にここまで意見することもないだろう。しかしラーベナルトは、オーベルシュタインが生まれる前からの執事であり、とかく体調を崩しがちだった幼い彼の世話を、両親よりも身近でしてきた人物である。オーベルシュタインがいくつになっても、この老人の目には可愛い少年に見えるらしく、こと健康管理については苦言を呈することを厭わない。そしてオーベルシュタイン自身も、頭が上がらないのである。
さあさあとソファに促され、膝かけを掛けられてしまう。
「お部屋までお通しいたします。くれぐれもご無理をなさいませんよう」
柔和な笑顔を主人に向け一礼すると、執事は部屋を出て行った。

 しんと静まった室内に、雨音だけが響く。うるさ過ぎない雨音が、言いようもなく不安を煽る。今日はどうかしているのだ。間もなくして、複数の足音が階段を上がって来た。ラーベナルトとフェルナーだろう。オーベルシュタインは重くだるい体を引き締めて、ピンと背筋を伸ばした。
「失礼します、閣下」
癖のある銀髪の部下が、微笑を湛えて敬礼を向ける。オーベルシュタインは黙礼のみで応じると、自分の前まで来るよう左手で促した。何の用で訪ねて来たのかは知らないが、この部下には昨日私邸まで送り届けてもらった恩もあるし、追い返すわけにもいかない。探るような目で眺めていると、フェルナーがふいに背後を振り返った。
「……?」
部屋の入り口には、もう一名の人影があった。
「あの……」
その人影……ミュラーは途方に暮れたように硬直して、総参謀長とフェルナーを交互に見つめている。
「フェルナーは分かるが、卿がなぜここにいる」
冷ややかな人工眼球に睨まれて、ミュラーはますます身体を固くした。そんなミュラーを見て気の毒に思ったのか、オーベルシュタインはフッと鼻で笑って言った。
「おおかた、フェルナーに巻き込まれたのであろう。思えば、卿らは同年だったな」
直属の部下でもないミュラーの年齢までも頭に叩き込んでいる総参謀長に、言い知れぬ恐ろしさを覚えながらも、年若い艦隊司令官はようやく混乱を収束させた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。まさか臥せっていらっしゃるとは知りませんでした」
ミュラーの発言に呼応するように、フェルナーも言葉を合わせる。
「そうそう、閣下、お身体はいかがですか。ご心配申し上げて、ここまで足を運んだのですよ」
「ご心配」の部分を強調して言うと、フェルナーは上官の表情を見やった。オーベルシュタインは部下の言葉でこの状況を認識したらしく、無表情を保ったまま微かに俯いた。これだと、フェルナーは内心でにやにやする。表情筋は固まっているが、気恥ずかしくて顔を伏せたのだ。
「……卿には迷惑をかけた」
ぼそりとそれだけ言って、口を閉じてしまう。その頬が今にも赤く染まりそうで、フェルナーは吹き出したいのを堪えるのに必死だった。うちの上官は、こんなに可愛い反応をする男だったか?
「閣下が休暇を取られるなんて前代未聞のことなので、参謀本部一同狼狽しておりますよ」
フェルナーの言葉に弾かれたように顔を上げたオーベルシュタインは、低い声で問い質した。
「まさか、皆、知っているのか」
わずかにひそめられた眉に加え、震える声と上目遣いに見つめる義眼が、戸惑いを隠しきれていない。フェルナーはことさら人の悪い笑みを浮かべた。
「さあ、小官は何も。ただ、人の口に戸は立てられぬ、と申しますから」
「……。」
黙り込んでしまった上官を、フェルナーは無遠慮に観察した。ローエングラム公が実質的な覇権を掌握した現在であっても、その存在に反感を抱く輩は少なくない。ローエングラム体制の裏の部分を担うオーベルシュタインが、テロリズムの対象となることも十分に考えられる。従って、彼の不調などを外部の人間に知られることは、極力避ける必要があった。そういった意味では、今度の一件が与り知らぬところで囁かれるのも歓迎すべからざる事態である。……しかし、目の前の上官がそういったことを考えているように、フェルナーには見えなかった。もっと、感情的な……
そこまで思考を巡らせて、フェルナーは思わず笑い出しそうになる。とかく非人間的と揶揄されるオーベルシュタインが、紛れもなく恥ずかしがっているのだ。失笑を禁じえないのは当然だろう。
一方、二人の会話の意味を図りかねていたミュラーは、フェルナーとは対照的に引きつった笑みを張り付かせていた。それはそうだろう。彼はオーベルシュタインが倒れたことなど知らないのだ。なぜ義眼の総参謀長が、ちょっと体調を崩しただけで、こうもフェルナーにからかわれているのか。そして、いつもなら屁理屈の三つも四つも並べ立てるであろうに、なぜ返答に窮しているのか。眉の動きや微かな俯きの意味など読み取ることのできないミュラーは、少ない手がかりからオーベルシュタインの沈黙を彼なりに解釈していた。つまり……
「フェルナー准将……」
ミュラーは、ある意味で尋常ならざる空気を、何とか緩和すべくフェルナーをつついた。オーベルシュタインはただ黙っているのではない。静かに怒っているのだ。そしてその怒りは、落雷間近であろう。彼はそう捉えたのである。
ミュラーの必死の努力に、フェルナーは形ばかりの鷹揚な笑みで応えるだけだった。
「ともかく閣下、無理はなさらずに、しっかり休んで下さいね。……ほら、まだ熱があるじゃないですか」
フェルナーは自然な仕草でオーベルシュタインの額に手を当てると、にやっと笑いながらその義眼を見つめた。
「な……」
オーベルシュタインはフェルナーの手を払いのけて、熱のせいか恥ずかしさのせいか火照ってくる顔をついと背ける。その拍子にミュラーと目が合い、思わず睨みつけてしまった。
「ひぃっ……」
悪名高い義眼に、唐突に、しかも思い切り睨まれて、ミュラーは息を呑みながら変な声を上げた。
……すまない、ミュラー。内心でオーベルシュタインは謝罪したが、残念なことにその声はミュラーへは届かなかった。さっきから失礼極まりない言動をしているのはフェルナーの方なのに、どうして私を睨むのですか。停止したミュラーの思考に浮かんだのは、その疑問だけだった。
フェルナーはその光景を、声に出さずに笑って眺める。照れ隠しに罪のない相手を睨むオーベルシュタインの不器用さにも呆れるが、そもそも卿が余計なことに首を突っ込むから悪いのだぞと、こちらもまた内心でミュラーに言ってやった。しかしこの言葉も無論、ミュラーには届かない。
結果的に孤独に怯える羽目となったミュラーは、一心に念じた。粛清だけは勘弁してください、と。
フェルナーからすれば、オーベルシュタインがこのような私情で粛清だの讒言だのをするはずもないことは明白なのだが、誇張された噂ばかりを耳にしているミュラーにとっては、危機的状況に思えたのである。
ともあれ、ミュラーをからかうのもこの辺りまでにしてやろうか。
「……冗談はさておき、総参謀長閣下」
突如フェルナーの口調が変わり、ミュラーも余計な雑念を排除した。
「なんだ」
オーベルシュタインはようやく、睨みつけていたミュラーから視線をはずした。
「ご体調とは別に、何かお心に引っかかることがおありのように、小官には見えましたが……吾々がこの部屋に入った時の閣下のお顔が」
見抜かれたのか。切り捨てたはずの過去に思いを巡らせていた自分は、彼らが入室した時に気持ちを切り替えたつもりでいたが、どこかにその成分を残していたのだろう。オーベルシュタインは優秀すぎる部下を一瞥して、軽く瞼を閉じた。
「そうか」
上官は興味のない話題に対して、こうして目を閉じて相手にしないが、フェルナーの見るところ今回の仕草の理由は、自身の動揺、あるいは苛立ちを隠すためであるようだった。
「漠然とそう思っただけですがね。強いて言えば、眉間の皺の本数と目の開き具合でしょうか」
上官の顔を観察しすぎだろう。普通、顔の皺まで数えないぞ!ミュラーは心の中で突っ込みを入れた。フェルナーは二つの義眼を怖じずに見つめる。
「卿に話すべきことではない」
オーベルシュタインが無感動な視線を部下へと返した。その表情を作るのに、久方ぶりに努力が必要だった。
「存じ上げておりますとも。ですが、聞くべきだと、俺の中で囁く声があるんです」
フェルナーの一人称が「私」から「俺」に変わったことに、彼の上官も気づいていた。それがどういうサインなのかは掴みかねていたが、ただ、今よりも自分に近づこうとしていることだけは、漠然と感じることができた。
「閣下。別に強制しようとは思いませんが、お心のつかえを解消されて療養に専念なさるのが、早期復帰にもつながるでしょう」
オーベルシュタインは再び目を閉じて、無意識に右手を目元へと運んでいた。右目を覆うように。
「卿に話したところで、解決の糸口が見つかるとは限るまい。……見つかるはずがない」
はあ、と、熱のこもった息を吐いた。薬の効果が切れてきたのか、頭痛と悪寒が背筋から頭頂部へと向けて這い上がってくる。
「閣下……」
フェルナーが口を開きかけたのを制止して、オーベルシュタインがミュラーへと目を向けた。
「見苦しいところをお見せした、ミュラー提督。階下で執事に茶でも入れさせよう」
携帯端末から執事に指示を出すと、ミュラーを視線だけで促す。ミュラーもすぐに心得て、大人しく階下へと下りていった。……結局私は、睨まれただけですか、とは口に出さなかった。


 ミュラーが出て行くのを確認して、フェルナーは上官に視線を戻す。彼を退室させたということは、何か内密な話をしたいのだろう。流れから考えて、おそらくオーベルシュタイン自身のことだ。好奇心は無論あったが、興味本位だけで食い下がっていたわけではない。何か、説明しがたい不安げな表情をしたオーベルシュタインが、無性に気にかかり、可能ならば話を聞いたほうが良いと思えたのだ。
「解決策が上がらなくても、人は誰かに話すことで、救われるものです」
オーベルシュタインは気だるげに、伸ばしていた背筋を緩めて、ソファの背もたれに頭を預けた。頭痛がじわじわと彼の脳髄を侵蝕する。その様子に、フェルナーは今度は冗談でなく寄り添って、「失礼」と声をかけてからオーベルシュタインの額に触れた。先ほどからかい半分に触った時よりも、明らかに体温が上昇していた。振り払われる気配もない。ミュラーがいない分、照れる必要がなくなったのか、それともそんな余裕さえないのか。両方だろうと思いながら、フェルナーは手を離してそっと語りかけた。
「申し訳ありません、俺のせいですね。話は次の機会にいたしましょう。どうぞ、お休みください」
そう言ってベッドへ促そうと右腕を差し出すと、オーベルシュタインがその腕を掴んでかぶりを振った。
「かまわぬ。卿のせいなのだから、最後まで話を聞いていけ」

ああ、そうか。
自ら他人に触れようとしたことのない上官の手が、自分の腕をがっしりと掴んでいるのを眺める。
今だから、話したいことなのかもしれない。
人は体が弱れば、自ずと心も不安定になるものだ。
この上官に限って、ふさぎこんで浮上できないことはないだろうが、彼もまた人間である。
誰かにすがりつきたいこともあるだろう。
熱に浮かされた、一時の気の迷いだとしても。

「閣下がそうしろとおっしゃるなら」
フェルナーはやわらかく微笑んで、上官の傍らに立った。それを見て、オーベルシュタインがおもむろに口を開く。
「卿らが来るまで、考えていたのだ。もし健常に生まれていたら、私は幸福な子ども時代を送ったのだろうかと。平穏な人生を歩んでいたのだろうかと」
オーベルシュタインはそう言って瞑目した。
「くだらぬ仮定だと、笑ってくれれば良い」
確かに考えても価値のない話だろう。未来の仮説を語るならともかく、過去に「もし」の副詞をつけることほど無意味なことはない。だが、そのような返答を望まれているとも思えなかった。
「閣下は今、不幸だとお思いですか」
フェルナーの問いに、オーベルシュタインは小さく首を振った。
「不幸とは言えぬ。良き上官、過分な地位に恵まれている。だが、満たされたと思ったことは一度もない」
飢え渇き、さらなる高みを求めて進み続けることが、彼の生き様そのものだった。その飢えは、いったいどこから来るものなのだろう。フェルナーは苦しげに吐露する上官の、その茫漠とした心のうちを探るように会話を続けた。
「それは閣下の野望が巨大すぎるからでしょう。王朝の打倒など、常人の考えでは到底及ばない範疇ですから」
オーベルシュタインがうっすらと笑った。皮肉を込めて、あるいは自嘲するように。
「生まれながらにして、己の存在を否定されているのだ。王朝への憎しみも不自然なことではあるまい。……劣悪遺伝子排除法。あの悪法さえ存在しなければ、私は……」
声が震えて、喉を詰まらせた。肩で息をしながら、オーベルシュタインは傍らのフェルナーを見上げる。右手はまた、その目元へと移動していた。
「私は……この遺伝子を、恥じる必要もなかったのに……」
フェルナーはその言葉に、やや驚いて目を見開いた。
遺伝子を妄信したという父からの言葉、悪しき遺伝子の子。その烙印は、思いのほか彼の心に影を落としているのだ。劣悪遺伝子排除法を否定しながら、誰よりも遺伝子に囚われているのは、彼自身なのだ。
「閣下。先ほどの仮定ですが、もし、閣下が健常にお生まれになったら、閣下は貴族の嫡男として甘やかされて、腑抜けてお育ちになったでしょう。ローエングラム公の元に下ることもなかったでしょうな。ですが、公は閣下なしで、今のように覇業を成し得たでしょうか。政治闘争、宮廷闘争を、あの純粋で真っ直ぐな青年が、うまく潜り抜けたとは小官には思えません。閣下なくして現体制は存在しないでしょう。そう思えば、嘆くような人生でもありますまい」
そうだなと、力のない答えがある。無論、この程度のことは彼自身も承知しているに違いない。では、何が彼を、自己の否定へと向かわせるのだろうか。
「自分が、自分自身を認めておらぬのだ。だから、性急に結果を求めてしまう。合理性や効率を求めてしまう。大きな果実をもぎ取らねば、己の価値を認められぬからだ。……分かっているつもりだ」
そのとおりであろう。自分の価値を認められないから、心も飢えるのだ。だが、先ほどの疑問は未解決のままである。なぜ、自分を認められないのだ。彼ほどの大志を持ち、それを成し得た人物は、全宇宙を探そうともそう多くはあるまいに。
「仮定の自分と、現実の自分と、どちらが幸福かなどといったことは、永遠に分かるまい。だが……一度くらい、父に、母に、笑顔を向けてもらいたかったなどと、考えてはならぬことだろうか」
オーベルシュタインは自信なげに俯いて、両の拳を握っていた。
フェルナーは唐突に理解した。オーベルシュタインを生まれながらに否定したのは、法律だけではないのだ。子を守るべき親が、彼を否定したのだ。
単純なことだった。
彼は愛情に飢えた幼い時代を過ごし、ただ、誰かに認めてもらいたいのだ。
「成功すれば」、「結果を出せば」という条件付きでなく、無条件に認めてほしいのだ。
能力や成果ではなく、彼の存在そのものを。
そうして初めて、己で己自身を認めることができるのだ。

「閣下、俺は閣下の部下をやっていて、閣下と出会えて、結構幸せですよ。それに……」
母性を備えた女性ならば、黙って抱きしめてやることで解決できるのかもしれない。だがそれは、母親や恋人の役目であり、フェルナーのやり方とは異なっている。
「閣下の存在に、感謝しています」
何を言い出すのかと、やや怯えたような目でこちらを見ていたオーベルシュタインの顔が、少しだけ柔らかく弛緩した。
同僚ならば、友人ならば、「良くやった」、「頑張ったな」と言ってやれるが、やはりそれもフェルナーの役目ではない。部下として彼にできることがあるとすれば、感謝することだ。ありがとうと、言ってやることだけだ。
フェルナーは上官の前に右腕を差し出した。オーベルシュタインはその腕を掴んで立ち上がると、ベッドへと体を移した。
「明日も休んで下さいね。仕事は、俺が何とかしておきますから」
そう言いながら布団を整えてやって、フェルナーは改めて敬礼した。退室しようとしてから思い出したように足を止め……。


 階下に戻ると、ミュラーが待ちわびたように立ち上がった。居間に飾られた豪奢な柱時計を確認すると、ミュラーがオーベルシュタインの部屋を退室してから、一時間が経とうとしている。
「お待たせしてすみませんでした」
フェルナーは微笑を浮かべて、同年の提督を促した。執事に礼を述べ、二人は庭先に止めた地上車(ランド・カー)へと歩みを進める。
「結局私は、何をしに来たのでしょう。総参謀長殿から、あの時の事情を聞き出すこともできませんでしたし」
ミュラーが苦笑しながら言うと、フェルナーは庭を見回しながら答えた。
「気がつかなかったですか、ミュラー提督。提督が目撃されたダルマチアンが、今日はどこにもいない」
「……言われてみれば」
しかし、それが、オーベルシュタインが夜間救急病院に駆け込んで行ったこととどうつながるのだろう。ミュラーは首を傾げた。
「夕べ閣下を目撃なさった時、提督は病院の名前を確認されましたか」
フェルナーの問いに、ミュラーはさらに首をかしげる。
「いえ、ただ、目の前に『夜間救急受付』という看板が光っていたので……あ……」
フェルナーは可笑しそうにククッと声を立てて笑った。
「お気づきのようですから申し上げますが、そこは動物の救急病院だったそうですよ」
悪びれもせずに笑い声を上げている友人を横目に、ミュラーは全身の力が抜けるのを感じた。
良く分からないうちにオーベルシュタインの屋敷へ連れて来られて、良く分からない理由で睨まれて、良く分からない理由で人払いされて、たっぷり一時間待たされた挙句の回答がこれなのだ。
もう、総参謀長殿への興味関心は、金輪際捨てよう。そう心に決めたミュラーは、ささやかな意趣返しとして、一人でさっさと地上車へ乗り込むと、フェルナーを置き去りにして走り出した。


(Ende)

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長々とお読み頂きありがとうございました。
閣下、病みすぎ(笑)
いやいや、ここまで極端でないにしろ、オーベルシュタインにはそれなりの葛藤があって、今に至るのだと思います。ちなみに家族設定は舞台オーベルシュタイン篇のストーリーを採用しております。
普段は割り切ってるけど、ちょっと考え込んじゃうことがあったらいいよ!
そこをフェルナーにつつかれるといいよ!
という妄想(願望?)の結果でした。
それと、目撃者といえばミュラーですよね。安定のミュラーにお笑い要素を加味して頂きました。

それでは、Auf Wiederseh´n!

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二次創作小説(銀河英雄伝説)」カテゴリの記事

コメント

こんばんは、リラです。

久しぶりの二次創作ですね。シリアス&ちょっぴりコメディで楽しかったです。

オーベルシュタインも人の子ですね。体調崩して気弱になるなんて。

たぶん治って正気づいたとき、フェルナーにあれこれしゃべったことを後悔して、でも何事もなかったかのようにしれっとした顔して出勤しそうです。

それにしてもフェルナー、准将でありながら自分で紅茶入れるのは趣味として許容できるとしても、顔のしわの数って…。もうマニアの域に達してますね。
ミュラーでなくとも、突っ込み入れたくなりますよね。

フェルナーのオーベルシュタイン通ぶりがたくさんみれて面白かったです。

こんばんは、リラさん。

いつもコメントありがとうございますm(__)m

そうそう、オーベルシュタインも人の子なんですよね。
考えて見ると、彼は「ルドルフ憎し」の私怨に突き動かされている人なんですよ。
私情のない人だと言われてるけど、実は私情が始まりで。
そんな彼の私情を描きたくて、今回の形になりました。……妄想ですが!

完治した後、たぶん、穴があったら入りたい状態でしょうね(笑)
必死に知らんぷりして、それをフェルナーがほくそ笑んで、またつつきまわすといいですね。

フェルナーは皺の数とか眉の動きとか、そういう情報で上官の心を読んで、器用に立ち回っているのではないかと想像しています。

次回はオーベルシュタインの誕生日に間に合えばと思っています♪

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