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心理学考察

2019年8月11日 (日)

第2回公認心理師試験を受けてみて(感想)

昨年は現任者講習の申込期限を過ぎてから気が付いたので、今年こそはと思って臨んだ公認心理師試験。
多くの受験者が「午後が難しかった」とおっしゃっていましたが、まずは試験全体の雰囲気から書いてみます。

 

1.試験会場

 私は日大文理学部のキャンパスでした。

同じ部署の同僚も今年受験で、まったく違う日に出願書類を郵送したにも関わらず、同じ会場で、しかも受験番号も連続、席も前後で続いていました。
東京会場でも複数個所あったようですが、受験資格の区分別に振り分けられて、受験番号もそのように割り当てられたのだと予想されます。
余談ですが、第1回の情報が少なくて、ホテルの予約など戸惑いました。
受験票が届いたのがギリギリだったため、都内に数か所予約したホテルのキャンセルが間に合うのかハラハラしました💦

 

2.会場内がザワついた試験中のルール

 机の上に出していいのは、HBの鉛筆またはシャープペンシル、消しゴム、時計のみ。
腕時計は時計機能のみのもので、スマートウォッチなど通信機能のあるものは不可。
アラームやストップウォッチ機能のある時計は音が出ないようにする。

まあここまでは一般的でしょう。

その続きです。ティッシュは袋やカバーから出して中身だけなら可。ハンカチ、スカーフ、ひざ掛けはヒラヒラと試験官に見せて確認をとればOK。冷房が効いていたため、途中でカーディガンなどを羽織る可能性があり、膝にかけておきたい場合も同様でした。

解答用紙、問題用紙配布後のトイレは、不正防止のため一人ずつ、挙手で行ける。
まあれこも、他の国試と比較しても一般的でしょうか。

 さて、ここで国試としては珍しい、夏季の試験ならではのルールがありました。

水分補給です。

なんだそんなことかと言うなかれ。冷房が効いているとは言え、収容人数ぎりぎりを閉じ込めた教室は暑かったのです。受験生たちもペットボトルやマイボトルなどを持ち込んでいる人が多数いました。
熱中症対策もあり、もちろん水分補給自体は以下の手順で可能でした。

1.挙手をして、廊下で水分補給をする。
2.後日、配慮申請書をダウンロードして記入する。
3.医師の診断書を添付して心理研修センターへ送る。

医師の診断書です。つまり、熱中症などの具体的な体調不良がない限り認められず、例えば熱中症の診断書をもらうためには、試験など放り出して直ちに医療機関へ行かなければなりませんから、要するに試験中の水分補給は不可能だと思っておいた方がいいです。(持病のある方や妊娠中の方など、事前に配慮申請をされた方についてはこの限りではないと思われます。)

ちなみにこの対応は今年からだったようで、試験官の当初の説明では、「廊下で水分補給できます。後日配慮申請書を忘れずに送ってください」くらいだったのですが、試験開始直前になって「厚労省から、診断書を添付するよう通達がありました」というリアルタイム対応でした(笑)

 

3.当日のタイムスケジュール

 試験は午前と午後の2時間ずつです。

午前: 10:00~12:00 (77問)
午後: 13:30~15:30 (77問)

説明や用紙の配布等で30分以上前から拘束されますが、まあ時間的には他の国試と変わらないか、短い方かな。
途中退出は、開始後1時間後から、終了10分前まで可能です。
問題も77問を2時間かけて解けば良いので、非常にゆとりがありますので、皆さんじゃんじゃん退出していきました。
私の場合、午前は教室内の温度も快適だったため、確実に椅子がある&机の高さもちょうどよいという観点から、終了15分前まで自席で仮眠してから、トイレが混む前に退出しました👀

 

4.試験の内容

 合格発表が済めば試験問題も公開されるでしょうから、ここでは雑感や傾向をお話しします。

その1.基礎知識を問う問題は健在(第2回は心理テストを問う問題が多数あった)
経験だけでは太刀打ちできない、普段使わない心理検査や、うっかり忘れがちな理論、人名など、公認心理師としてというより、学校でお勉強していればわかるよね?という知識の確認はおろそかにできないなと感じました。

その2.「知らない人名」「知らない理論」が出題されたが、心理師や心理士としての一般的な考え方、国語力で解ける問題だった
午後の問題に複数あったように思われますが、初めて見る理論の名前がバンと問題文の頭に書かれているのです。大抵の受験生が「やばい、わからない」と混乱して考えることを放棄してしまうような、癖のある出題方法です。が、中身を落ち着いて読んでみると、そんな名前を知らなくても、心理の専門家として考えればわかる内容でした。
つまり、落ち着いて考えれば正解できます。冷静さがカギ。

その3.事例問題のウエイトが高い
今年も午前、午後ともに77問で、それぞれの後半19問(計38問)が事例でした。そこから察するに、おそらく今年も事例問題が3点の一般問題が1点で、総得点230点という計算になると思われます。
第1回試験の際に、事例問題の配点が高すぎるのではないかと物議をかもしていたようなので、今回の配点は変わるかもしれないと覚悟していたのですが、試験前の説明時に問題数を聞いた時点で、第1回と同様の配点だと予想できました。事例問題の数までは解いてみないとわかりませんでしたが、1問1点で154点満点のテスト、なんて中途半端なことはしないだろうなと(笑)
まあそのウエイトの高い事例問題で、今年はだいぶ荒れていますが……。

その4.本当に「地獄の午後」だったのか?
冒頭でも書きましたが、今年は午後が難しかった、午後がオワッタとの感想が多かったですし、私も午後は屍人になってフクラハギッと叫びながら滅せられたような気がしました(サイレン…)。
でも、解答速報を見ながら採点してみると、実は午前も午後も得点はほとんど変わらず、同僚いわく「午後の方が取れた」とのことでした。
そんなわけで、「地獄の午後」は気のせいでした。公認心理師っぽく言うのであれば、「午後の序盤に難問が続いたため、初頭効果による印象形成の結果なのではないか」ですね、ハイ。つまり何が言いたいかというと、わからない問題が出てきてもいいんです。全問正解する必要はないので、次の問題で頭を切り替えて、解ける問題を取りこぼさないのが大切。印象形成に惑わされないように、です。

 

長々とお読みいただきありがとうございました。

第3回を受験される方、頑張ってくださいね~!

私も会場のどこかにいるかもしれませんが(笑)

2009年3月 8日 (日)

オンラインのコミュニケーションと被虐体験

オンライン……考えようによっては電話もオンラインのような気がしますが、ここは「オンライン」=「インターネット上」と考えて話を進めます。

パワーゲームという言葉をご存じでしょうか。一般的には、大国間での駆け引きを指します。如何に相手より優位に立つか、優勢を保つには何をすべきかを考え、実行し合うやりとりです。これは何も国家間に限られたことではなく、一人一人の人間の間にも起こり得ることですね。近頃の掲示板を見ていると、パワーゲームが多いなと感じます。

自分の言葉が相手に誤解された、理解されなかった、不当に非難された。「そういう意味じゃない!」「お前だって……」そう言って、相手に自分の主張を説明します。それでも理解されません。更に説明します。ところがその説明は、自分の正当性の主張に変わっているのです。この時点で、お互いに「自分の主張こそ正しい。相手をねじ伏せて自分の主張に賛同させたい」というパワーゲームを始めているのです。
この種のパワーゲームを傍から見ると、二人の間で論点がずれていたり、余りにも個人の背景に違いがありすぎて、それぞれの持つ価値観が異なっていることが多いのです。相手の考え方を推察してみないと、いつまで経っても分かり合えないだろうな、と思うわけです。

自分の主張に賛同しなければならない義務は、相手にはありません。説明して理解されないことは、ことオンラインでのコミュニケーションでは、説明し続けても不毛なだけ、ということも多いものです。時には納得したふりをして、あるいは、考えが一致しないことを認めて、関係性を継続していくことも大切ですね。色々な人がいて色々な考えを持っているけれど、一緒に生きているということを、大人である私たちは知っているのですから。


<<ここから被虐体験のある方要注意の文章です。自己責任でお読み下さい。>>



ところで、被虐体験者(サバイバー)は、コミュニケーションの一つひとつがパワーゲームになりがちです。なぜなら、子ども時代から家庭においてパワーゲームを強制されていたからです。絶対権力者である大人(虐待者の意)の主張や意向を第一に考えなければ許されない子どもでした。大人が常にパワーゲームの勝者であり、彼らの優位性を保持するために、殴られ傷つけられてきたからです。大人は自分の主張のすべてを子どもに「イエス」と言わせ、言わなければ言うまで傷つけます。そうしてその傷を癒せぬまま大人になった彼らは、今度は相手に「イエス」と言わせたいのです。いえ、言わせないと不安でたまらないのです。だって、「ノー」と言われたら、それは負け、被虐の立場になるのですから。二度と傷つけられたくないという必死の思いで、相手を説き伏せようとするでしょう。これがパワーゲームになる経緯だと私は分析しています。

主張のやり取りに勝ち負けが存在しないこと。誰かの主張が全面的に評価されることは稀であること。一見常識的なことですが、サバイバーの周囲には、そんな常識はなかったのです。
分かり合えなくても、傷つかないこともあるのです。分かり合えないことを認めるのは苦痛を伴いますが、それは引き分けなのです。勝者と敗者の関係よりも、ずっと良い関係なのではないでしょうか。
そんなことを頭の片隅に置いて、掲示板を利用している管理人でした。